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奈良田 むかしいまめぐり

焼畑文化に踊りに民謡、歴史、言語、自然環境。

奈良田は小さな集落にも関わらず、様々な分野の研究者が関心を寄せ、調査や取材に通い詰める不思議な集落です。

ひとたび奈良田にハマると、片道3〜4時間かけて訪れる日帰りの観光客も。

多くの人を魅了する、奈良田の「むかし」と「いま」を写真でご紹介します。

モノクロ写真:河内 薫

カラー写真と文:小森 由美子

vol.1 はじめに

かつて「陸の孤島」と呼ばれた奈良田は、色濃い文化が残る集落

語り継がれる、孝謙天皇伝説

奈良田は、8世紀の女帝・第46代孝謙天皇(第48代称徳天皇としても再び即位)が病を治すため湯治(とうじ)に訪れ、8年間過ごされたと語り継がれる古い集落です。

 

▲昭和25年に立てられた「私達の部落」。孝謙天皇にまつわる「奈良田の七不思議」が記されている

 

伝承によると、孝謙天皇は集落の最上部に御殿を建てて遷居し、「奈良田」という地名を名付けたといわれています。現在は、御殿の跡地とされる場所に、孝謙天皇をご祭神とする奈良法王神社が建てられ、奈良田の人々に「奈良王さま」と呼ばれ、親しまれています。

▲孝謙天皇をご祭神とする、奈良法王神社

▲現在の奈良法王神社

 

 

集落まるごと、山の上へとお引越し

 

奈良法王神社の近辺には現在、家々が建ち並んでいますが、ひと昔前まで家屋は一軒もありませんでした。元々、川沿いに住んでいた奈良田集落の人々が山の上へと移り住むようになったのは、昭和32年(1957年)のこと。

 

▲移転前の奈良田集落

 

電源開発のためのダム建設に伴い、まず7戸が現在の場所に移転しました。
さらにその翌年には伊勢湾台風が起きたため、土砂が堆積して河床が上がり、昭和35年には集落ごと引っ越すことを余儀なくされたのです。

 

▲エメラルドグリーンの奈良田湖。この川上沿いに旧・奈良田集落があった

 

これを機に、奈良田の人々の生活環境は一変します。ダム建設と同時に道路も整備され、昭和30年にはバスが開通。それまでの交通手段だった馬やトロッコは、姿を消しました。

 

トロッコ

▲トロッコ道は台風で崩れることも。その脇を通学する子どもたち

 

奈良田の小学生は、それまで集落内にある分校(現在の公民館)に通っていましたが、昭和39年に分校が廃止され、上湯島にある西山小学校までバスで通うようになりました。他の地域との交流も深まり、それまでの自給自足の暮らしから衣食住も変化していきます。

 

▲木で作った側溝と、手積みの石階段&石垣。こういったものも、”自給自足”だった

 

家屋の屋根もトタン屋根に。移転前の家屋は奈良田式住居の「板葺(いたぶき)石置き屋根」(屋根に割り板を張り、風で飛ばされないよう石を乗せる)が特徴でしたが、その姿は見られなくなりました。

 

板葺き石置き屋根

▲奈良田式住居の「板葺(いたぶき)石置き屋根」

 

2017年に古民家カフェ鍵屋が企画した写真展「はやかわ昔巡り~奈良田・湯島~」は、かつての奈良田式住居を再現した「山城屋」で開催しました。たくさんの石が乗せられた屋根に、みなさん目を丸くしていらっしゃいましたよ。

 

▲イベントスペース「山城屋」は、かつての奈良田式住居を再現した

 

この写真展では、交通手段が馬やトロッコだった頃、奈良田集落が移転する前の時代にスポットを当てました。すると、主催者も驚くほど、遠方からたくさんの方が観に来てくださいました。

 

 

昭和30年まで続いていた、奈良田の焼畑文化

 

かつて奈良田では、伝統的な焼畑農耕が行われており、ダムが建設される昭和30年まで続いていました。農繁期には家族全員でアラク小屋に住まい、蕎麦や粟などの雑穀を収穫、塩も池から採取していました。

 

▲焼畑の再現映像やアラク小屋は、奈良田の里の「歴史民俗資料館」で見ることができる

 

焼畑農耕だけでは生計がたたず、農閑期には男たちがヒノキやトウヒなどの木を切って曲げ物や下駄などを作り、木地師と呼ばれる職人として活躍します。

 

曲げ物

▲奈良田は良質な木材が豊富

 

 

奈良田に伝わる民謡は、山の向こうから木地師が持ち帰ったもの?

 

奈良田は良質な木材が豊富でしたので、木地師が曲げ物などを信州、飛騨、加賀などへ運び、盛んに取引が行われました。副業とはいえ、貴重な現金収入の源でした。奈良田に今も伝わる民謡は、木地師の彼らが出向いた先に伝わる民謡を持ち帰ったことにより生まれたといわれています。

 

奈良田の民謡

▲奈良田には、岐阜の『郡上節』と同じ歌詞の民謡が伝承されている

 

ダムの建設により、焼畑農耕も曲げ物づくりも終焉を迎えました。しかし、奈良田は隔絶した土地ゆえに古来の文化が色濃く残り、近年は多方面から注目を浴びています。

民謡をはじめ、言語や風俗、自然環境などの研究者や学生さんも、取材のために遠方からはるばる奈良田へと足を運びます。

また、ダム建設時に代替地を得て町外に移動した人たちも、奈良田を愛する心は変わらず、奈良田の民謡や歌を伝承する「白樺会」として活動し、集落に残った人々との交流が続いています。

 

▲近年は移住家族も「白樺会」に加わり、踊りや三味線演奏の後継者も育ちつつある

 

奈良田を歩き、ふと見上げると、奈良田イチの長老が、屋根の上でトタンの塗り直し作業を行う様子に目を奪われることも。その元気に働く姿には驚かされると同時に、こちらもエネルギーをもらいます。

自分でできることは何でも自分で行い、自然の中から何かを作り出す――。

奈良田は昔も今も変わらずに、そんな魅力的な人々が日々の生活を豊かに営み、集落を守り続けています。

 

カラー写真・文:小森 由美子
モノクロ写真(撮影):河内 薫

モノクロ写真(提供):田草川 一夫

資料提供:深沢 實
構成:ことり舎

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